東日本大震災から10年。昨日3月11日は県内各地で地震発生時刻の午後2時46分に合わせて、追悼セレモニーが行われました。
郡山市内でも昨夜は追悼の花火が打ち上げられ、震災で亡くなった方々への哀悼の意が示されました。
その翌日の3月12日。東日本大震災から11年目の初日。えるーむからわずか数十メートルの場所にある公園では、昨年から続いている除染土の搬出作業がいつもと変わらず行われています。
東日本大震災が起きた2011年。
その後、郡山市内の一般住居でも順次、除染作業が行われました。その除染土の多くは、その住居の敷地内に埋められたり、フレコンパックが外から見てもわかるように置かれていました。
それが郡山市内の各地に設置した仮置き場に運ばれ、いまさまに仮置き場から双葉町・大熊町にある中間貯蔵施設に運ぶ作業がピークを迎え、えるーむ近くの公園も連日、トラックがで出入りしています。
そのトラックが向かう場所は、昨年秋に開館した東日本大震災原子力災害記念館の所在地・双葉町と大熊町に跨る中間貯蔵施設。
先週末、3・11を目の前にして、この眼で確かめたいと思い東日本大震災原子力災害記念館をはじめて立ち寄りました。
2011年のNPO設立直後からスタートし、2015年ごろまでメーン事業で実施していた「被災地のいまを感じる スタディツアー」の現地ガイドでの光景を思い出しながら、記念館を見学。様々な想いが込み上げてきました。
何よりやるせないのは、帰り道に通った国道6号。双葉町・大熊町・富岡町の帰還困難区域を通過する国道6号の東西にはあちらこちらにバリケードが設置され、震災で暮れてしまった家屋が解体もされずにいまも無残に残っている光景が、いまの日本にあること。
決して昨日は区切りなんかではない。まだまだ何も終わっていないと実感する瞬間でした。私たちの活動の原点は、福島で生まれた子供たちが生まれ育った自然豊かな福島で未来永劫、安心して暮らせる社会づくりです。
そのために自分たちが有機腐葉土となって、未来づくりに努めていく。全国各地から支援をいただいているみなさまの、熱い想いに応えるためにも、終わりなき未来づくりに微力ながら励んでいきます。