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11年目の「3.11」を迎えて

おはようございます。
今朝は各事業所の周辺は、ともに快晴です。
3月11日、東日本大震災・東京電力第一原発事故から11年が過ぎました。はじめに改めて東日本大震災で亡くなった方々、そしてその関連死で亡くなった方々に黙とうをささげます。
今日は、あの日と同じ金曜日です。11年前も市内の中学校の卒業式が開催され、いつおのように車で出勤すると、卒業生と保護者が一緒に学校に登校する姿も見られ、感慨深いものがあります。卒業生のみなさま、おめでとうございます。
『3.11から11年』
当時、幼稚園児や保育園児だったお子さんが、中学卒業となると、早いと思う県民もいるし、まだ11年と思う方、感じ方は福島県民それぞれだと思います。
 当時を振り返ると、子供たちは大丈夫か?早くお迎えにいかないと・・・。ガソリンがないと動けない。スタンドに行かないと。食べるものがなくなるかもしれない。近くのお店で何でもいいかな買わないと・・などなどこれからの一日一日を必死に生き抜くために。子供たちを家から一歩も出さずにあがいていたのが、思い出されます。
 
あれから11年。ハード面ではいろいろ新しい施設や交通網が整備され、生活しやすい地域になりました。福島第一原発事故による避難地域には、放射能で汚染された土壌の除染が行われ、一部の低線量地域では避難が解除され、住み慣れた土地への帰還あるいは被災地の復興のためと新天地に移り住んだ方もいます。一方で除染などで出た放射能汚染物質を保管する中間貯蔵施設ができ、ふるさとへの帰還叶わず、新たな土地での生活を始めた方も少なくありません。
2年前のコロナウイルス感染拡大、そしていまなお激しい戦闘が続くロシアとウクライナの戦争勃発は、他人事ではいられません。そこでまた罪のない子供たちが犠牲になっている。
がれきに囲まれ、雪が降り散る場所で、救援を待つ子供たち。震災の当日の夜が同じでした。余震が何度も続き、雪が降り散る中、校庭で家族の迎えを待ち続けてた子供たち。ウクライナ国民は戦火を逃れる為に、国外へ避難する方もいらっしゃいます。
震災と戦争はまったく違うものですが、支援を必要とする子供たちがたくさんいる。いつの時代にも災害や戦争の最大の犠牲者は子供たちです。子供たちの命と安全を守るため、震災から11年が過ぎた今の現実。震災と原発事故を経験した福島のNPOだからできることがが問われる、そんなことを感じる2022年の3月11日です。震災から12年目がスタートしました。